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コラム

「道場で稽古するとは」

道場
    「道場」という言葉は元々仏教者が修行する場所を
  指す言葉だった。それが転じて、様々な稽古事を修行する
  場所を指す言葉になり、今でも武道での修行の場は道場と
  呼ばれ、剣道場・弓道道・柔道場 などと呼ばれている。



    剣道にしろ空手にしろ、昔は師匠の下に通いそこが師匠宅の庭なら、そこが道場であり、
  どんな様式の建物が道場というものはなかった。

    また修行者は少人数で、時には師匠と対一での稽古が普通であったものが、
  門弟の増加と共に一編に教授できる広い場所へと変わって行った。
  幕末の剣術道場隆盛期がこれに当たると思う。

    今回は道場の由来を語るのが目的ではなく、道場で稽古する意味を考えてみたい。
  我々豊能支部は小学校の体育館を利用させて頂いておるのだが、バスケットボールや
  バレーボールを練習するのと何が違うのだろうか?

    基本的には同じだ、何ら取り立てて大きな違いはないだろう。

  同じ種目を稽古する仲間が集い、切磋琢磨する場で、一人だと超えられない限界でも
  仲間と共に乗り越えることができる、共に成長する場である。
  スポーツマンシップに則った正々堂々としたプレーを磨くのもここである。

    武道とスポーツの違いを言い出すと長くなるので省略するが、こと空手に関して言えば
  礼が無ければ単なる喧嘩に堕し、試し合いは互いの修行の成果を確かめる手段である。
    目的は同じで、やはり一人では乗り越えられない限界を仲間と共に高め合う、
  競い合うことで心身の練磨に通じるものと信ずる。

    体育館は空手道場足りえるのか?という話を聞いたことがあるが、
  豊能地区の体育館はとても好条件であると思う。
  冬の寒い時期は道場に通う事さえ厳しい。

    厳冬の最中、汗をかくまで稽古することは単なる我慢比べではない。
  やはり自分一人では超えられない壁を、仲間と共に突き破る事になる。

    朝稽古も同じ。休日のゆっくり寝坊したい時間に普段と同じように起床し、
  辛い稽古に汗を流す。これも仲間が居なければ一人では成し得ないであろう。

    雰囲気も大事である。座禅でお世話になっている朝川寺は、沈香が香り、
  小高い丘の上に立つ寺院の周りは木々に囲まれ、自然の香り、鳥の囀り・・・
  なるほどここで座禅を組むのは頷ける。

    小学校の体育館であっても、稽古前に清掃し、正座・黙想で心を落ち着け、
  指導者や先輩は真摯な態度で稽古に臨む。こうした雰囲気作りも大切だ。

    道着を着たら寝そべったりだらしの無い格好は禁止。
  稽古中にあくびをするのも厳禁!
  常に大きな声を出して稽古し、礼も大声で行う。

    これらも一人で守るのは難しいのだが、仲間がそうだと自然に習慣となる。
  これは子供達だけが身につけるものではなく、大人も道場の風を学ぶ。
  親子で稽古に通うのは、こうした雰囲気や習慣を身に着けるという効果もあるだろう。

    試合に勝つ!技量を今以上に上げる!には道場の稽古だけでは足りず、
  自己鍛錬が必須ではあるが、道場で稽古するというのは考えてみると色々と有益であることがわかる。
  道場で学ぼう!道場で自分を鍛えよう!・・・これは指導者も同じである。
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